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まだ評価が定まらない絵画作品を人々が負担なく自由に個人の意思で選び、購入する社会
これまでの制作を振り返るに、私の絵画の源泉が、版画やドローイングから来ていることがありました。もともとスクラッチの技法は、1998年にドライポイントでリトグラフを制作した経験が元になっています。アクリル絵具を層状に重ね塗りしたキャンバスにスクラッチをするというのは、版画の版そのものを作品として見せる行為に近いのです。また2014年までは、素描を制作することなく、絵画自体が下絵や計画のないドローイングであったという時代がありました。
2015年頃からドローイングを発表するようになったのは、絵画制作に必要な下絵という意味からではなく、むしろ同時代に制作された、まだ評価が定まらない絵画作品を人々が負担なく自由に個人の意思で選び、購入する社会を夢見たからです。
これまでの日本の社会で購入されていたアートは、たとえ自宅用であっても、著名な画伯のサイン入りのものであるとか、老舗の画廊で販売されているもの、美術評論家が評価したもの、あるいは公募展や美術団体展で受賞されている作家の高額なものであったと思うのです。
しかし本来アートは近代社会において、そのようなヒエラルキーを打破しようと挑んで来たのであり、私自身も日本のそういう常識を打ち破りたいと思ってやってきたことは間違いありません。ですから意外に買いやすい価格で売るようにして来た経緯があります。
ところが、私も想定外なことが起きて、何度か賞を受賞してしまったり、作品が美術館に所蔵されたりと私にとっては思わぬ誤算が起きてしまいました。これは本心から感じていることです。私はもともと、アングラでカウンターカルチャーとしての指向性が強い方です。
そこで、こうした矛盾の中にあって、なぜ作品の価格がこのような価格で設定されているのかを、今一度独自の基準で設定していかなければならなくなりました。私の活動は、従来の画廊を通して作品を販売する方法とは異なるもので、活動自体もアートだからです。
私の活動は、絵画や版画などの伝統的な美術形式を使って、現代アートの空気感をどのように盛り込めるか(逆に現代アートが伝統的な美術手法をどのようにアレンジできるか、という言い方もできるかもしれません。)という努力をしてきたように感じています。こういう活動を通して現代アートが苦手な層も受け入れられて来ている実感があります。
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