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的を外すこと
窓からは、枝垂れ桜が咲き始めているのが見えました。家の外に出かけなかったけれど、町はむしろ静かなようでした。南軽井沢のプリンスホテルがG7の会場になっているそうで、プリンス・アウトレットモールはここ数日休業らしい。
今月私は気づくと、毎日のようにドローイングしていましたが、全てを売るかどうか、ニュースレターで公開するかどうか考え中です。
最近は、売ってしまったドローイングの中には、次の展開のための重要なヒントが残されていたのではないかと思うと、今持っていないことは損失になっているのではないかと後悔することがないわけではない。
これまでの私は、何でも制作物はすぐに売ってしまっていた。物質ではなく、経験が私に残されていれば良いと考えてきたからです。
ドローイングのコレクションがたまっていくと、それなりに満足感があるけれど、その満足感に浸ることはアーティストの無限の可能性を妨げかねない。
そして常に抱く不満足感が、次の新しい作品の制作に向かわせる。
私のその「後悔」を分析すると、それは、「あの時売れたあの作品と同じようなものが作れたら良いな」という気持ちの現れに違いない。それは、「売れるものを作る」ということを目的にした姿勢から発せられる言葉と言えるから。
それの何が悪いと思うかもしれないけれど、不思議なことに、的に当てようとすればするほど、作品は売れなくなる。これはアートだけの現象ではないに違いない。発想元は、オイゲン・ヘリゲル著の『禅と弓』にその謎が描かれている。もっとも、私がここ数年信奉しているネルケ無方禅師は、このオイゲン・ヘリゲル著の『禅と弓』に対して懐疑的だと書かれていたけれど。
そうは言っても、経験的に納得する側面がある。「待っていると、待っているものはなかなか来ない」「期待していると、期待外れになりやすい」「売ろうとすると、売れない」「親切にしようとすると、その人のためにならないことがある」ところが、的を少しずらした時に、想定外に的中することになる。
「待っていても仕方ないとスマホでメールの返事を書いていると、逆に書き終わらない内にバスが来てしまい、もう少しバスが遅くても良かったのに」という経験。「無愛想にしている相手ほど、結果的に長い付き合いになり、親切にしなくても親切にしてもらえる」という経験。「こういうのは絶対に売れない作品と思ったものほど、すぐに売れてしまう」という経験があるからです。
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