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緑の風景
昨日から紙に油彩の作品を初めています。
ハッチングの縦方向の線描を残す技法で描いた油彩画は、私が軽井沢に越して来た2017年から始めたものです。それまでの道草シリーズの植物を感じる作風から「軽井沢の風景」をモチーフにした作品を数点制作した中で、「せせらぎ」と言う作品がネットから注文がありました。今から3年くらい前のことだったと思います。その画像を見ているうちに、悔いがないように、今でしか描けないものを今こそ描いておこうと言う気持ちが湧き上がって来ました。
最近は、自分の外の世界よりも内面にある形を、自分なりの規則性を見つけたり崩したりして描いていたのですが、緑の季節の今こそ、外界の力も吸収した作風を試してみたいと思うようになったのでした。
日本では、作風が急激に変わる作家はあまりいないように思えますが、海外では何人か思い当たる作家がいます。その最高峰はピカソであり、同時代作家としてはゲルハルト・リヒターやシグマー・ポルケ。私は、特にリヒターのアブストラクトもフォトリアリズムも両方手掛ける姿勢が好きです。
私は元々、学生時代に、スーパーリアリズムの作家の上田薫氏のフォトリアリズムの集中講義を受けていて、写真から絵画を制作するノウハウを学んだことがあるのです。しかし当時は、少し懐疑的な部分もありました。とは言え、時代は写真と絵画、CGと版画と言う境界線を模索する作家が次第に頭角を表していく勢いが感じられました。賛否両論は今でもずっとありますが、私も時代の変化とともに、私なりの足跡も残してみたいという気持ちがあります。
2016年に横須賀美術館企画の展覧会で発表した、油彩のボカシ技法を使った緑のシリーズや、その前進であるアクリルガッシュのハッチング線描の見える「空のシリーズ」は、全てフォトリアリズムをベースにしています。とはいえ、なるべく被写体が何であるかがわからないほどにデジタル加工してあるので、それをフォトリアリズムとは言わないものになっています。このコンセプトには、「細部に神が宿る」とか「フラクタル理論」があります。マクロの世界の見え方は、微細なミクロの世界に同じ縮図が存在するからです。それを抽象として取り出すようなモチーフでした。
2018年に制作したoil on paperには、木の幹を拡大してデジタル加工した作風があります。昨日の記事に掲載した「緑の開示」はその作風です。その時は点描で描いていますが、ようやく、私の持ち味である線描を残す技法を見せながら、最もオーソドックスな風景画を素直に描いてみる気持ちになりました。
最近は、長年ファインアートとしての作品を発表して来た私にも、ある変化が起きて来ています。「なるべく多くの人にアートの楽しさを伝えたい」というYouTubeでの私のコンセプトと、「わかる人にわかってもらえればそれで良い」というファインアートのコンセプトとの間で葛藤があるのです。このような葛藤の中から、私の潜在能力が発揮されていくことを期待し、慎重にしかし勇気を持って新たなシリーズに挑戦しているところです。
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