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私の見ている世界は自分が見たいように見ている
「私の見ている世界は自分が見たいように見ている」と気づいたことがあります。今からもう30年くらい前のことです。しかし、そうは言っても、現実は、確実に私の外に、「こうあるはずだ」と思い込みながら生活しています。本当は、自分の内面が外界に映し出されているだけなのかもしれないのにです。
それはまるで絵画制作のように。
自分の子供の頃からの刷り込みや思い込みや学校教育で、「現実とはこう言うものなのだ」と言う思い込みで見ることに、私たちはならされてしまっています。
本当は、ちょっと冷静になって「違う視点もありなんだけど」と気がつくこともあるのですが、大抵は盲目的に、「大体現実とはこう言うものなんじゃないか」と、よく調べたり観察することなく思い込んで見ています。
美術の世界も、30年以上前に私が「アートとは、こう言うものなのではないか」と感じていたことも、今では「そうとも言えるし、そうではないとも言える」と言う考え方に変わって来ました。大学の西洋美術史の講義で聞いたことも、今改めて調べてみると、その後研究が進んで違う見解の研究論文が出ていることもあります。時代が変わると、人々の考え方も感覚も価値基準も変わるのです。
その変化を単なる劣化と見ることは、時代の変化に自分がついていけないことを実証するようなものです。
時代が変化することを、チャンスと捉えることが重要と思います。自分のまだ眠っている可能性を発揮する余地が与えられているわけです。
これまでできなかったこと、受け入れられそうになかったことが出せるチャンスなのかもしれないのです。
自分をある一つの型に閉じ込めておくのは、あまりにももったいないことです。
自分の可能性を引き出すには、「自分はこう言う人間だ」と言う思い込みを一旦捨ててみる必要があるのです。「自分など本当はないのだ」と気づくことがあるかもしれないけれど、だからこそ「自由に自分を塗り直すことができる」と私は信じています。
このところ、縦の線描で描く新シリーズが順調です。今日も1点制作できました。「花の夢想」と言うタイトルをつけました。いつになく楽しい雰囲気の画面になりました。まるで子供心に戻ったかのようです。
キャンバスには描かず、相変わらず油彩用の紙に油彩で描いています。大きさや矩形のバリエーションをどのように決めていくかを考えながらも、しかし行動に思考が追いつかないほどに、次々と制作しています。今はただ本能に任せるしかないのかも知れません。
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