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明確でシンプルなデザインである版画
今日の午前中に、再びメゾチントプレート(36x24cm)の手直しをして、4枚のハーネミューレ紙にプリントしました。しかしどうもこれらに十分満足出来そうにないのです。
原因は、私が金属製のバーニッシャーで十分に磨いた部分が、白抜きにならず、版画の画像に明暗のコントラストが作られていなかったことにあります。黄色、ターコイズブルー、チタニウムホワイトを混ぜて作った明るい緑色のインクは、あまりに曖昧で、私には弱々しく感じら流のでした。
そこで、プリントの中央部分に淡いターコイズブルーをアラプペの技法で重ね塗りして、空白部分を少し青よりになるようにプリントしてみました。ハーネミューレの紙の色は、やや黄色味のがかっているので、その紙に青みのある白を乗せると、目の錯覚で真っ白に感じさせる効果になリマス。確かにその私の試みは正しかったことは確かめられたのですが、それでも尚、何か物足りなさを感じたのでした。
版画は、はっきりした形や色で構成されることを必要としているように思われてならない。そのように、私は直感的に気がついたのでした。絵画は、なるべく微妙で複雑で曖昧なものによって、見る人を長い時間惹きつける必要がある。しかし、版画は、そもそも複雑にすることが求められていないのです。人々は、明確でシンプルなデザインである版画であること自体に、人間の技術や創意工夫や手のぬくもり、いかに大切に作られたものであるかを見たいのだと思う。「なぜ画家が版画制作をするのか?」「私はどういう目的で版画を制作するのか?」を私はもっと真剣に考える必要がありそうです。
それは、例えばこういうことと似ている。私は日本人なので、日本語ならばいくらでも複雑な文章でブログが書ける。しかし、英文でブログを書く時は、自分の思いを複雑には書けない。私は、なるべくシンプルにわかりやすい文章にして翻訳する。日本語であったならば、そのようにストレートには言わないことも、英文ではストレートにするようにして。私は曖昧な表現ができる程には英語力がないし、沢山書けば間違いも多くなるので、単純でわかりやすく伝わる文章だけを考える、というわけです。
版画は、元々複製芸術で、なるべく多くの人に見せるために編み出された技術。だから、なるべく多くの人が見て楽しめる絵柄、なるべく複雑なものを避けて、手間をかけずに良いものが出来る方法を工夫する必要があるわけです。つまりやはり版画はデザインした上で出来てくるものなのかもしれない。
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