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下絵作成段階でのCGの活用
私がPCというものに触れたのは、1980年代です。出身の女子美の造形学専攻には、田中先生というコンピューター・グラッフィック専門の教授がいらっしゃっていて、CGの授業で、初めてマッキントッシュ(今のMac)の小さなモノクロ画面のデスクトップに触れたのです。先生のお話では、当時250万円もしたという機材でした。
その時の課題は、ある画像から違う画像に変容させるアニメーションを作るというものだったと思うのですが、動画になっているものをプリントアウトで提出はできなくて、(もちろんCDもフロッピーすら、記録する何らかの方法がなかった)ぺんてる社が当時開発していたペンによるプリンターを動かして、その動画の程よいところでストップさせて紙にプリントしたものを提出するという感じでした。
あまり質の良いものではなくて、「この程度のものしかできないのか」と正直それほど面白いとは思えなかったのですが、この経験は確実に私をハイパー志向にさせたと思います。
この大学の課題以外で、しばらくPCに出会えることはなく、当時世の中はワープロが人々の生活に普及し始めていました。1980年代中頃のことです。私も富士通のOASISを持っていました。
ワープロを日本の社会が受け入れ始めた時に、アルバイト先の博物館でワープロを使ったデータ入力の仕事を任されました。当時初めてワープロ機材を導入したということで、職場の誰もその使い方がわからないというのです。分厚いマニュアル本を手渡されて、「これで調べながら、わからないことがあったら電話で直接製造会社に問い合わせてください。」ということでした。そのPCが富士通のOASISだったのです。この時にワープロ機材を動かすのが面白くなって、自分でも月賦払いで自分用のOASISを買ったのでした。
このワープロは、今から思えばオモチャのようなものですが、当時は綺麗な印字をプリントできるリボンカートリッジが機材自体に備え付けられていました。手書きではなく、印字した書類ができるだけでも、画期的なガジェットだったのです。しかし、画像処理や写真データを整理するということには使えないものでした。
当時、博物館内の写真担当の職員さんの仕事もお手伝いしたことがあったのですが、まだポジやネガの整理で、PCに画像を入れるような仕事ではありませんでした。そしてその担当の職員さんは「デジタル写真がもう出始めているけれど、とてもお粗末なもので、使い物にならない。」という評価でした。当時まだ「解像度」という言葉すら知りませんでしたが、その20年後には、解像度の高いデジタル一眼レフが一般に販売されるようになるとは、多くの写真家にも想像出来ていなかったことだと思います。
私がMacを独占して使えるようになったのは、1990年代後半です。当時私は小さな町の美術館で学芸員として働いていました。その時にたまたま前任者が残してくれたMacの小さなデスクトップが与えられたのです。まだ当時はモノクロで、インターネットも開通しておらず、ワープロに毛が生えたような仕事で、データを打ち込み、書類を作る程度のものでした。
小学2年生で、タイプライターを買い与えられていた私は、ワープロのキーボードをブラインドタッチすることは何の苦労もないことでしたが、初めてIlustlaterで書類を作った時は、めちゃくちゃ新鮮でした。なぜかというと、カーソルが自在にどのスペースにも動かせるからです。ワープロが原稿用紙ならば、Macは真っ白な紙、あるいはキャンバスだと感じました。何しろ描画ができるのですから。
まぁとにかく長くなりますが、このようにして私はMacを使う技術を身につけつつも、世の中はどんどん変化して行きました。インターネット、バージョンアップ、スペックも高くなり、操作上のフリーズや不可解なトラブルも減って行きました。
そして自分でもMacが買える時代になったのです。そのように時代と共に身についたデジタル要素が、絵画制作をしていても自ずと滲み出てくるものです。
画像データ処理やデジタル現像のできるソフトウェア、例えばPhotoshopを、作品制作に活かしてみたいという気持ちをずっと温めて来ました。
決して楽をしたいからではありません。人が思うほどには、ソフトウェアは完全な仕事をしてくれるわけではなく、また誰もが同じようなことができてしまうので、この部分に物足りなさがないわけではありません。
ただ、この時代に生きている証のようなもの、時代の空気を作品に残す方法として、下絵作成の段階でCGを活用することは、私の一つの課題であり、手法の一つになりつつあります。
この具体的な手法については、そのうちYouTubeで語るつもりです。
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