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曖昧になりつつある世界の抽象性
今朝は、早めに起きて鶯の囀りを聞きながら近所を歩きました。まだ空気はひんやりしていますが、確実に春になったことを実感しました。
朝の目覚めた瞬間に思いついたことは、必ずその日のうちにするようにしています。今日は、思い切って過去作品で今の作風とは異なるものを、まず画像ファイルでチェックして、アトリエの作品保管場所を確認して、実物をもう一度見てみることにしました。かなり月日が経っているので、何か違和感があるかもしれないし、逆に今後の制作へのヒントが得られると思ったのです。画像だけでは感じるインパクトが少ないので、現物そのものを見ることはとても重要です。
その作業から3つの作品を取り出して見てみました。作品は、「翠」「yellow melody」「雨上がる」です。「翠」は、木枠から外してあり、作品面を表にしてパラフィン紙で巻いてありましたが、状態はとても良くて、今の作風とは異なりボカシで作品面が薄塗りで弾力があり、とても滑らかで程よい光沢もありました。明後日木枠が届くので、木枠が届き次第取り付けて改めて撮影しようと思いました。
作品「yellow melody」はF10号サイズで、木枠から外して巻いてありましたが、この画布は、日本製のフナオカ社製の極細目の均一な目の細かいウサギ膠塗りキャンバスでした。とても材質の良いものです。薄塗りの油絵は、耐久性があり、画布の自然な麻の色によって、しっくりとした琥珀色のような黄色味を見せていました。モチーフは、長野市に住んでいた家の近所のモッコウバラを大きく描いたものです。
yellow melody
花びらの形状が複雑で動きがあり、拡大すると黄色い抽象画のようにならないだろうか?と考えながら制作したものでした。この作風には他に二つ連作がありましたが、一人のお客様が気に入られて二つとも買ってくださったものでした。その他に水彩色鉛筆かパステルで描いたドローイングが何枚かありましたが、これも何枚か売れています。これらは、2015年頃発表したもので、私のフォトリアリズム的な作風であることと、それまで抽象的な風景や空を描いていた私が初めて花に挑戦するという、当時はとにかくとても勇気を出して発表したものです。結果的にこの変化が、2016年の横須賀美術館での展覧会につながったと、後から担当学芸員さんから言われたものです。
ですから、その時のことを思い出しながら、F10号の木枠に改めて取り付けて、展示風景を簡単に撮影しました。黄色味を正確に撮影することは、とても難しく、あれこれデジタル現像しましたが、やはり保管した画像が一番正確なようです。
3点目は、善光寺の庭で見た紫陽花を大きく描いた「雨上がる」です。これは専用の手製の箱に入れて保管されてありました。WSMサイズというサムホールサイズを2枚繋げた、珍しいキャンバス木枠を使っています。これは長野市に住んでいた時に、お世話になっていた額縁屋さんで見つけたもので、本当は普通のキャンバスが取り付けてあった張りキャンバスの画布を外して、フナオカ社製の極細目の画布に変えて制作したものです。縦長にすると細身で和風な感じになりますが、このキャンバスは、元々はパノラマ風景を描くために作られたという説明があったように記憶しています。
雨上がる
2015
oil on canvas
45.4x15.8cm
詳細:https://kawadayuko.jp/atelier-gallery/product/ameagaru/
この作品は、とても初々しいオーソドックスな油絵になっています。これはそれまでアクリルガッシュ絵の具で制作して来た路線を変えて、2015年にシュミンケ・ムッシーニの油絵の具を初めて取り寄せて、本格的に油彩画を始めようと決意した時のその最初の作品なのです。今見るとその時の決意がまた新たに胸に込み上げてきます。この時に同時に紙に描いた紫陽花のドローイング「雨を待つ」があるのですが、これは発表時にすぐに売れてしまいました。この作品が手元に残っているのは、かなり価格が高くしてあったせいです。初めての油彩でもあり、価格設定に慣れておらず画廊のオーナーから「もっと自己評価を高くしなさい」というアドバイスをもらったものの、初めての油彩画に当時はどうも自信を持てずに手元に残ったのではないかと思います。それから8年が経ち、今改めて見た時に、とても淡くしっとりとした油彩画になっていて、こういう作品を制作できていて良かったと思いました。
自分の作品の良さというのは、自分でははっきり掴めるものではありませんが、少なくとも自信を持って発表する責任というものはあります。数年経って、「しまった」というようなものが残らないように、常に自分に正直な制作が試されます。
過去の作風ではありましたが、今の制作につながる一筋の脈絡をしっかり掴むことが出来ました。それは、「自分が存在する場所の当たり前の日常の何気ない事象に、なるべく接近しようとする視線」です。接近しすぎてボケて「曖昧になりつつある世界の抽象性」を制作に取り込もうとする気持ちはずっと持ち続けています。この視線をどのように工夫することで、自分らしい世界を積み上げていくことができるかをこれからもずっと考えて制作していくことでしょう。今日は、その気持ちを新たにする1日になったようです。
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