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作品『流れゆく』について
今日は、作品「流れゆく」について説明を求められたので、文章を書き上げました。この日記にもその文章を残しておこうと思います。
流れゆく
2017
oil and egg tempera on canvas
65.2×45.5cm
作品『流れゆく』について:
私は、長野県内に移住してから、自分の中の自然と外界の自然とを融合させながら、絵画のモチーフを創出しています。長野市に住んでいた時は「自分が存在する場所の当たり前の日常の何気ない自然の事象に、なるべく接近しようとする視線」から、接近しすぎてボケて「曖昧になりつつある世界の抽象性」というテーマが次第に見えて来ました。
この『流れゆく』は軽井沢に来てからの作品で、接近というよりは、時間と共に常に流れ去る川の動性がテーマです。現実は時間とともに変化するので、固定されず曖昧で幻想であるかのようにさえ感じられます。その幻想に突き動かされない、「不動の自己との対話」を可能にする絵画を描こうとしました。
時間を止めて固定した川の風景を描いてしまうと、見る人はそれに囚われて自己を投影しようとはしないでしょう。現代の人はテレビや映像を見るのと同じように、川の景色を自分の存在とは全く乖離して見てしまい、自分ごととは思えないからです。そして、川が流れることを人は知っていても、現象全てが流れ去っていることを自覚出来ている人は少ないです。ですからそのような人は、現実に自己を見失い流されて生きて行きます。
この作品は私が日常で見慣れている、近くを流れる湯川を画面中央に固定しながら、川を含めた全ての現象が流れ去って行く、軽井沢での制作の日常そのものを表現しています。
この流れゆく絵画を日常に置いて、流されない自己との対話を作品は願っています。
私の作品は当初から、見る人が作品を物語り完成させていくことを目指しています。そのためになるべく何にでも見える幅を残し、見る人の鏡であるような工夫をいろいろしています。しかし元々は、自然のありふれたモチーフから取り上げていて、この作品は、軽井沢の湯川の景色が元になっています。今取り組んでいる緑の風景シリーズは、この『流れゆく』から派生している制作です。
この文章を書いて送った後に、少しまた考えが変わった点があります。「不動の自己との対話」と書きましたが、「自然の流れに乗る自己」と「流されない不動の自己」を行き来出来る場としての絵画でありたいと思いました。
作品と考えていることが一致するまでには、まだ少し時間がかかるのかもしれません。いずれにしても、考えが先にあって作品が出来るのではなく、一つ一つの作品の制作の過程で、気づかなくても、後になってから、過去の作品を見直すことで気づくこともあります。その時はうまく言葉で説明できないことを、勘を頼りに制作しているからで、ずっと後になって考えが深まると言葉にすることができる場合があるのです。
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