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奇跡の起こし方
「奇跡」というと、宗教的だと思われるので、最近はあまり人に言わないように気をつけていますが、これも私の口癖になっている言葉です。
私の場合は、「想像もしていなかった、起こり得ないことが起きる」ことがあり、それは日常の小さなことから、不思議な出来事など、様々な「奇跡」を実体験して来ました。
私には、よく起こることなので、そう人に言うと「それは川田さんが特異な画家であるから」と言われてしまうのですが、私にはどの人も奇跡が起きているのに、起きているとは気づかないのが不思議でなりません。
またそう言うと、「そんなちっぽけな不思議な出来事を大袈裟に『奇跡』だなんて、頭がイカれている」言われるかも知れません。
しかし、最近YouTubeで何気なく「奇跡」の起こし方を語っているチャンネルがあって、「あ、それそれ。そういう風に人に語ればわかりやすいのか!」と思ったので、日記に書いておこうと思います。
それはどう言うことかというと、「些細な奇跡に気づくようになると、ある時大きな奇跡が起きやすい」ということです。普段の奇跡は、あまりに当たり前すぎるので、多くは見過ごしているのです。そして、その見過ごしが重なると、奇跡が起きにくい。それはどう言うことなのかを説明してみることにします。
ある日、このようなことがありました。その日、オンラインから注文した画材が着払いで届くようになっていたのです。ところが、届くその日が土日に当たっていたことと、それほど高額ではなくて1387円くらいの金額でした。そのくらいならお財布に入っていると思って、前もってATMで引き落としをしないでいたのです。
ところがその商品が届く日に、お財布を見ると、1000円札はあったのですが、端数がちょうど200円足りません。でも「きっと大丈夫」と自分が感じていたのだから、その勘が正しいと言うことを自分でも確かめてみようと思いました。
机の引き出しや、バッグの内ポケット、ジャケットの全てのポケット、小物入れ、思い当たる場所を細かく丁寧に見て行きました。するといっぺんにではなく、少しづつ少しづつ出てくるのです。10円とか、5円とか、1円玉まで。そしてかき集めてみたら、合わせてちょうど100円が集まりました。でも、どうしてもまだ100円足りません。
それでも私は「凄い!」と単純に思いました。「なぜぴったり100円が集まるのだろう?」「日頃、お金はきちんと入れておくべきところに入れておくように気をつけているはずなのに、それでも何気なく不確かな行動をしているものなのだな」と思った一方で、それらの取りこぼしの行動を探り当て、100円ぴったりが出てくること自体がまず奇跡だと思いました。そのような気持ちで、また探し出したのです。すると一度見て、絶対に無いと確認したはずのポーチから、スルッと100円玉が一つ出て来たのです。「え〜っ!」こんなことで一人有頂天になるのは流石に恥ずかしい(苦笑)でも、こうした些細な幸せな出来事を楽しんでいると、何かを問題解決のためのコツのようなものがわかってきます。
まず、人生は何事もゲームだと楽しむ余裕が大切です。たとえ物探しにしても、焦りやイライラでは良い結果をもたらしません。そして二つ目は、何事も細かく丁寧に向き合うこと。そして三つ目に途中で中途半端に「ダメだ、無理だ」とあきらめないこと。そして4つ目は、「奇跡」を口癖のようにして、常に生きていること自体が「奇跡なのだ」と自覚し、それらの「奇跡」一つ一つを深く味わい関心を持つこと。この一見当たり前の簡単なコツを掴むだけで、思っても見ないような大きな奇跡が起きる確率がずっと高くなります。
「何だそんなに簡単なことなのか」と思われるかも知れませんが、たいていこの簡単なことが冷静に出来ず、「奇跡」を信じようとしない。しかし、たとえ些細な「奇跡」であっても、何度も重なると、「これはひょっとして?」と信じられる自分に変わっていくものなのです。
花と風景
2023
oil on paper
22x22cm
詳細:https://kawadayuko.jp/atelier-gallery/product/hananotohuukei/
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