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アートに人生のすべてを捧げること
今日の午前中は、増えて行く書籍を整理して、メルカリで売るものや、段ボールに詰めて買取をお願いするものなどを分類していました。書籍の良いところは、一度手放しても必要ならば、また必ず買い戻せるところです。手に入りにくい書籍はありますが、そういうものは売らないようにします。これまでに何度も売ってはまた買うを繰り返すものもあったり、いくつか売ってしまったものを、チャンスがあればまた買い戻したいと思っているものもあります。でも急遽必要だというのでなければ買う必要はないとも思っています。
手放したものの中に、心に深く記憶に残っているものもいくつかありますが、そういうものに囲まれた生活を望んでもいません。本は重いし嵩張ります。最近は、3000円以下の本は、kindleで売っていれば、kindleで買うこともあります。3000円以下の本は、売っても手数料を取られるといくらにもならないからです。5000円くらいの本だと、売れればまとまったお金になって、それで画材を買う場合もあります。しかし、すぐには売れません。大抵大学などの教育機関の図書館が買ってくれることが多いです。専門書なので、一般的に買う人はごく稀です。
今、欲しいなと思っている本は、みすず書房からもうすぐ発売のレヴィ=ストロース著『構造人類学』です。5月22日に刊行予定で、7920円。すぐに買えるだけの十分な経済力を持ちたいと思うのは、こういう時です。
本を1冊読むと、世界を見る目が全く変わります。昨日書いたことと矛盾しているようですが、私たちの意識というのは、実は必要な知識は全て備わって生まれて来ていることは確かなのですが、それを言葉にした形で自覚しているわけではないのです。言葉になっていないことを意識化するのはとても難しいのです。ところが、一つの解決策として、その時々で目にしたもの、特に書籍から認知を呼び覚ますことができるようになっています。
アートは、見るだけで十分に味わえるようになっていると思わせているものもありますが、実のところ、哲学や科学、心理学、文学、歴史の知識を持っていて見るとまた全く別の世界を見せてくれるアートも存在します。それは時代、アーティスト、宗教、民族によってもまちまちで、どれにも共通するような知識があるわけではありません。ですから、アートに興味を持っていると、さまざまな本を読むきっかけになります。そのことも私がアートを信仰する所以です。
だからと言って、教養主義のアートが素晴らしいと言っているわけでもありません。むしろ逆です。教養主義から抜け出そうとして現代のアートがあると言っても過言ではありません。その教養の代わりに人々に経済的な利益を与えるものであろうとして出て来たのが商業主義アートです。それはアートが経済力を勝ち取って、より自由であろうとしている動きです。しかし、そこにも何らかの犠牲や抑圧、軋轢が生まれます。すべての人にすぐに愛され理解されるようなことがアートで実現したとしても、時代の変化に耐えうるものではない場合もあるからです。
皮肉なことに、長いスパンで支持されているもののほとんどが、当初誰にも評価されなかったものなのです。長く、地下に埋もれていたものが、ある時に大発見されて再評価が起きます。
ですから、アートはそもそも到底人間の浅はかな謀で何とかなる世界ではないのです。ChatGPTに質問したところで、差し障りのない、誰でも考えればわかるような無難な提案を与えてくれるだけです。むしろ理屈や理論では理解できないような摩訶不思議な力が発揮された、その事実に人々が気づき触れたときに、初めて感動が起きる、そういうものだと思っています。
限られた自分の人生の中で、この小さな存在である私に一体何ができるのどろう?と思うものの、人生のすべてを捧げてでも、取り組む意味は大いにあると感じているのです。
早春賦
oil on canvas
72.7x60.6cm
詳細:https://kawadayuko.jp/atelier-gallery/product/sousyunfu/
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